人と比べてしまう癖は、やめようとするほど続く。「自分に価値がない」から降りた3つのやり方
人と比べてしまう癖を、やめようと決めては失敗してきました。転機は比較をやめる努力ではなく『反応し…

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人と比べてしまう自分を、長いあいだ持て余していました。誰かの成果を見た日は、手元にあるものが急に小さく見える。ひどいときは「自分に価値がないんじゃないか」というところまで落ちていました。やめようと決めた回数だけなら、たぶん何十回もあります。それでも止まらなかったのに、ある本を読んでから比べる回数が自然に減りました。順番が逆だったのだと思います。比較をやめる練習をしたのではなく、反応しない練習をしたら、比べる場面のほうが先に減っていきました。
人と比べてしまうときに、実際に起きていること
誰かの投稿や成果を見た瞬間に落ち込むとき、目に入っているのは相手でも、動いているのは自分の内側です。相手の情報が入ってきた直後に、自分の持ち物や実績を並べ直して、値札を付け替えている。他人を見ているのではなく、自分の価値を測り直しているのだと気づいてから、比較という言葉の意味が少し変わりました。
人が自分の位置を他人で測るのは、意志が弱いからではなく、もともと備わった働きだと言われています。集団の中で自分がどのあたりにいるのかを知ることは、かつては生きるための情報でした。だから「比べるな」と言われても止まらないほうが自然です。原因を性格やメンタルの弱さに求めると、比べたうえに自分を責めることになって、二重に消耗します。
やっかいなのは、遠い相手にはあまり刺さらないという性質です。何百億も動かしている経営者の話を読んでも、僕の心はほとんど動きません。刺さるのは、同じ時期に始めた人、似た仕事をしている人、少し前まで同じ立場にいた人です。距離が近いほど「自分にもあり得た未来」に見えるので、劣等感の温度が上がります。同期や同業が一番苦しいのは、たまたまではなく仕組みのほうの問題でしょう。
もうひとつ、比較の材料が最初から不公平だという問題があります。相手について見えているのは、選び抜かれて外に出された結果だけです。自分については、うまくいかなかった作業も、迷った時間も、朝の機嫌の悪さも全部知っています。相手の完成品と自分の作業途中を並べているのだから、負けた感じがするのは当然だと思います。比べ続けると自己肯定感が削れてストレスが増える、と一般に言われるのも、条件が対等でない勝負を毎日やっているからだと思います。
「自分に価値がない」と感じた時期のこと
僕がいちばんこたえたのは、誰かに負けた瞬間ではありませんでした。自分にお願いされていた仕事が、別の人に回るようになったときです。抱えていた分が減って楽になったはずなのに、頭に浮かんだのは「もう必要とされていないのかもしれない」でした。
役割を外れた感覚を、そのまま自分の価値が下がった証拠として受け取っていたわけです。同じ時期に「自分はあんまり成果を出せていないかも」という感覚も持っていたので、ふたつが混ざるとけっこう深いところまで落ちます。特定の誰かに嫉妬しているというより、自分に値段が付いていない気がする、という感じでした。自分に価値がない、とまで思ってしまう人の何割かは、たぶん近い場所にいるのだと思います。
あとから振り返ると、僕は仕事を引き受けることで自分の価値を確認していました。頼まれる、こなす、ありがとうと言われる。気持ちのいい流れですが、承認でモチベーションを保っている状態は一種の中毒に近くて、供給が止まった瞬間に価値がゼロになったように感じます。比較の問題に見えて、根っこにあったのは、自分の価値を外に預けていたという事実のほうでした。
「人と比べるな」という正論が届かなかった理由
落ち込んでいる時期に、比べても仕方ない、人は人、と言われたことは何度もあります。正しいのは分かるのに、聞いた直後に少し腹が立ちました。言われて止まるくらいなら、とっくに止まっています。
比べるのをやめようと決めると、比べていないかどうかを点検し続けることになります。点検するには、まず比較の対象を思い出さないといけません。やめようとするほど相手のことを考える時間が増えるので、うまくいかないのは意志の問題ではなく手順の問題でした。しかも失敗するたびに「またやってしまった」が積み上がって、劣等感の上に自己嫌悪が乗ります。
比較そのものを敵にしないほうがいい、という感覚もあります。比べたことがきっかけで動き出す人はいますし、嫉妬が行動のエネルギーになる場面も確かにあります。問題なのは比べる行為そのものではなく、比べた直後に「だから自分はだめだ」という判断がくっついてくることのほうでした。
『反応しない練習』を読んでから変わったこと
降りるきっかけになったのは、草薙龍瞬さんの『反応しない練習』です。書いてあるのは、悩みの多くは出来事そのものではなく、出来事に対する自分の反応から生まれている、という話でした。読んでからブッダの考え方に少しずつ触れるようになって、比較との付き合い方が変わりました。
核になっているのは出来事に、その場で判断を貼らないという一点です。誰かの成果を見る。見たところまでは事実で、心はまだ動いていません。動くのは、見た直後に「すごい」「それに比べて自分は」という判断を貼った瞬間です。だから「見た」で止める。良い悪いを決めない。慣れるまでは、心の中で「いま判断が乗ったな」と言葉にするだけで十分でした。
本の内容は『反応しない練習』の要約と実践方法をまとめた記事に詳しく書いています。比較の話に限らず、人の一言でいちいち揺れる状態に心当たりがあれば、あわせて読んでみてください(『反応しない練習』の要約と、実際にやってみた実践方法)。
言い方を変えると、僕は比較をやめる方法を身につけたわけではありません。比べるのをやめたのではなく、反応が減った結果として比べる場面が減ったというのが実態に近いです。順番としては、反応の手前で止まる練習が先で、比較が薄くなるのが後でした。
「まあ、いっか」と言えるようになるまで
いま僕が落ち込みかけたときにやっているのは、だいたい三つです。難しいことはしていません。
1つ目は、判断が乗ったことに気づくところまで。誰かの数字を見て胃のあたりが重くなったら、「いま比べたな」と心の中で言います。止めようとはしません。気づくだけで、感情に飲まれている状態から半歩外に出られます。
2つ目は、言葉にして外に出すことです。頭の中に置いたままだと、同じ思考が何周もします。ノートに一行書くか、誰にも言いにくい内容なら、AIに話して整理してもらうこともあります。嫉妬や情けなさは人に言うと角が立ちますが、書き出す相手が人でなければ気楽です。「何がうらやましいのか」「自分は本当は何が欲しいのか」まで分解すると、意外と欲しいものは相手が持っているものではなかった、と分かる場合があります。
AIに話すときは、慰めてもらおうとすると逆効果でした。「元気を出してください」と返ってくると、こちらの気持ちのほうが置いていかれます。僕が頼むのは聞き役ではなく整理役です。腹が立ったことをそのまま打ち込んで、「うらやましいと感じた対象を、事実と自分の解釈に分けて並べてほしい」と頼みます。返ってきた一覧を見ると、うらやましかったのは相手の成果そのものではなく、その人が周りから評価されている状態のほうだった、と分かる日があります。深夜でも誰かの時間を奪わずに済むので、人には言いにくい話ほど出しやすいと感じています。
3つ目が「まあ、いっか」です。分解して、事実だけ残して、そこで置く。解決しなくていいし、納得もしなくていい。相手がすごいのは事実、自分が今そこにいないのも事実、それだけです。無理やり前向きに変換しようとすると、また判断を貼る作業に戻ってしまいます。
①「いま比べたな」と気づく(止めようとしない)②うらやましい中身を一行書き出す(人に言いにくければAIに話して分解する)③事実だけ残して「まあ、いっか」で置く。3つ目まで行けない日もあります。気づくところで終わっても、翌日には少し軽くなっていることが多いです。
人と比べてしまう人の特徴と、僕に当てはまったもの
比べやすい人の特徴として、自己肯定感の低さ、承認欲求の強さ、完璧主義、他人の評価が気になりやすいこと、あたりがよく挙げられます。僕の場合は、真ん中の二つがはっきり当てはまっていました。
共通しているのは、自分の基準を自分で持っていないことだと思います。基準を外に置いていると、誰かが動くたびに自分の位置が変わってしまいます。他人の成功が、自動的に自分の失敗として計上される状態です。自分軸という言葉はやや使い古されていますが、要するに「何ができたら今日はよかったことにするか」を自分で決めているかどうか、という話でしょう。
①褒められない期間が続くと、自分の価値が下がった気がする ②SNSを閉じたあと、開く前より気分が悪い ③頼まれごとを断ると、必要とされなくなる気がする ④自分の良かった点を挙げるより、足りない点のほうが早く出てくる ⑤他人の成果を見た直後に、自分の予定を立て直したくなる ⑥「自分に価値がない」と検索したことがある。三つ以上あるなら、思い込みのほうを直すより、比べる材料が入ってくる量を先に減らすと早いかもしれません。医療的な判断ではないので、点数として受け取らないでください。
SNSは断つより、見え方を作り替える
比較の材料がいちばん流れ込んでくるのはSNSです。ただ「SNSと距離を置きましょう」で終わる話は多いのに、では具体的にどう触ればいいのかまで書いてあるものは少なく感じます。僕は発信する側でもあるので、アカウントごと消すという選択は取れません。取れないなりに、見え方のほうを作り替えました。
| やったこと | ねらい |
|---|---|
| 通知を全部オフ | 自分のタイミング以外で開かせない。呼び出されて開くと、比べる準備がないまま比較が始まる |
| 見て沈む相手はミュート | フォローを外すと関係に影響が出る場合がある。ミュートなら関係を保ったまま視界からだけ外せる |
| 見る時間帯を決める | 朝いちばんと寝る前を外す。判断力が落ちている時間に見ると、いちばん深く刺さる |
| ホーム画面から外す | アイコンが目に入るだけで指が動く。検索して開く一手間があるだけで回数が減る |
| 画面をグレースケールに | 色が消えると、通知バッジも写真も引きが弱くなる |
| 寝室に持ち込まない | 寝る前の比較は反すうしやすい。眠りの質にも関わる |
通知まわりのやり方は、通知をオフにしたときに何が変わったかを書いた記事にまとめてあります。よければあわせてどうぞ(スマホの通知をオフにして変わったこと)。
SNSを見たあとの嫌な感じの正体についても、少し考えたことがあります。刺激で一瞬だけ気持ちよくなる感じと、満たされている感覚は別物だという話で、比較で沈む夜にも当てはまると思っています(ドーパミンで得た快と、本当の幸福感の違い)。
数字で比べられる仕事をしている場合
フォロワー数、再生数、アクセス数、検索順位。仕事として数字を追っていると、比較しないという選択肢がそもそもありません。しかも数字は、比較できるように作られています。並べれば必ず上下が出ます。
僕がやったのは、見る回数を減らすことでした。毎日開いていた画面を、週に一度まとめて見る形に変えています。日々の上下は運の要素が大きいのに、毎日見ていると、下がった日は自分の実力が下がった証拠のように感じてしまうからです。週単位にすると、線として見えるので落ち込みが浅くなります。
もうひとつは、他人の数字と自分の数字を同じ画面に置かないことです。順位表のような形で並ぶと、どうしても位置の話になります。自分のグラフだけを見て、先週より上か下かだけを確認する。同じデータでも、見せ方を変えるだけで受け取り方がかなり変わりました。
加えて、勝てない土俵は早めに諦めるようにしています。資本も人数も違う相手と同じ指標で戦っても消耗するだけなので、自分の強みが出る場所を選び直したほうが早いです。できないことを諦めるのは負けではなく、エネルギーの置き場所を決める作業だと考えています。全部の分野で平均点を取ろうとしていた頃より、成果も気分も安定しました。
過去の自分と比べるための、記録の作り方
比べる相手を他人から過去の自分に置き換える、という話はよく見かけます。やってみて分かったのは、過去の自分と比べるには、記録が残っていないと成立しないということでした。記憶の中の過去の自分は、なぜかいつも今より優秀です。三ヶ月前にどれくらいできなかったかを、人はきれいに忘れます。
僕が続けているのは、粒度の違う三種類の記録です。1つ目は、その日にやったことを箇条書きで残すもの。うまくいったかどうかは書かず、着手したことだけを並べます。2つ目は、寝る前の三行日記。良かったこと、感謝したこと、感じた感情を一行ずつ。3つ目は、作ったものや直したものを日付付きで残す一覧です。
大事なのは書くことより、見返す日を決めておくことでした。書きっぱなしだと、単なる作業ログで終わります。僕は週の終わりに一度だけ、その週の分をまとめて読みます。読むと、比較のものさしが「誰かの現在地」から「先週の自分」に戻ります。落ち込んでいる週ほど、実際には手が動いていた、と分かることも多いです。
三行日記のやり方は、続かなかった僕でも続いた形として別に書いています。記録がまったくない状態から始めるなら、いちばん軽いところから入るのが現実的かもしれません(寝る前に3行だけ書く日記の続け方)。
比べてしまう自分を、責めなくていい
さんざん書いておいてなんですが、僕はいまも比べます。数字を見て少し沈む日はありますし、同じ立場だった人の活躍を知って、何とも思わないふりをする瞬間もあります。減ったのは回数と深さで、ゼロにはなっていません。
ゼロを目標にすると、比べた自分を裁くことになります。裁いた瞬間にまた判断が乗るので、結局は同じ場所に戻ります。比べてしまう癖は、たぶん一生ついてくるものだと思っていて、上手に一緒に暮らしていくくらいの距離感がちょうどいい気がしています。
それでも、落ち込みが何週間も続く、眠れない、食べられない、朝起きられないといった状態が重なっているなら、考え方の工夫でどうにかする話ではなくなります。心療内科やカウンセリングは、限界まで我慢した人だけが行く場所ではありません。しんどさが生活に食い込んでいるなら、早めに専門家に相談してほしいと思います。書いてきたのはあくまで、暮らしの中で比較との距離を取り直した個人の記録にすぎません。
よくある質問
Q. 人と比べてしまう人は、どれくらいの割合いるのでしょうか。
A. 正確な割合を示した信頼できる統計は、調べた範囲では見つけられませんでした。心理学では社会的比較は誰にでも起きる働きとして扱われていると言われているので、程度の差はあれ、ほとんどの人が経験していると考えたほうが実感には近いと思います。割合を知って安心できるならそれでいいのですが、多い少ないが分かっても自分の落ち込みは軽くならないので、そこは深追いしなくていい部分でしょう。
Q. 人と比べてしまうのは、うつ病などの病気のサインですか。
A. 比べること自体は病気ではなく、誰にでも起きる反応です。ただし、気分の落ち込みが二週間以上続く、眠れない、食欲がない、これまで楽しめていたことが楽しめない、といった状態が重なっている場合は、性格の問題として片付けないほうが安全です。自己判断せずに、医療機関や公的な相談窓口に一度話してみてください。相談先が分からないときは、かかりつけの内科で聞いてみるところからでも構いません。
Q. 人と比べて落ち込んだ直後は、どうすればいいですか。
A. 考えて解決しようとしないほうが早いです。落ち込んでいる最中の思考は、材料が偏っているので結論も偏ります。散歩でも皿洗いでも、体を動かして意識の置き場所を変えるか、いっそ寝てしまうのがいいでしょう。翌朝になると、同じ出来事が驚くほど小さく見える日があります。それでも重いなら、うらやましい中身を一行書き出すところまでやると、自分が本当は何を欲しがっていたのかが見えて、扱いやすくなります。
Q. 比べるのは悪いことですか。まったく比べなくなるのも問題ですか。
A. 悪いことではないと思っています。嫉妬は、自分が本当は何を欲しがっているかを教えてくれる材料になりますし、比較から始まって行動が変わる人もいます。分かれ目は、比べたあとに手が動くか、止まるかのほうです。動くなら残していい比較で、止まって自分を責める時間が増えるだけなら、材料の入ってくる量を減らしたほうがいいという判断になります。
まとめ
人と比べてしまうのは、意志が弱いからでも、性格が悪いからでもありません。相手を見た瞬間に自分の値札を付け替えてしまう働きが、もともと備わっているだけです。だから正面からやめようとすると、比較を意識する時間が増えて逆に苦しくなります。
僕の場合は、比較をやめる練習ではなく、反応しない練習のほうが先でした。出来事に判断を貼る手前で止まり、事実だけ残して「まあ、いっか」と置く。並行して、SNSの見え方を作り替えて材料の量を減らし、記録を残して比べる相手を先週の自分に戻しました。順番としては、心の持ちようを変えるより、材料と手順を先に触ったほうが早かったです。
全部を一度にやる必要はないと思います。気になったものがひとつあれば、そこから試してみてください。
スマホの通知をひとつ切って、いちばん見て沈むアカウントをミュートしてみてください。フォローは外さなくて大丈夫です。翌日SNSを開いたとき、比べる材料が入ってこないだけで気分がどう違うか、確かめるところから始まります。


