『資本主義の次に来る世界』を読んだ感想。脱成長と計画的陳腐化から考える、お金の行き先の問い方
脱成長を掲げる『資本主義の次に来る世界』の感想です。売る技術の本ばかり並ぶ棚に、初めて売ることを…

本記事はアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト)を含みます。実際に読んだ本だけを紹介しています。
『資本主義の次に来る世界』を読んでから、買い物のときに一拍おく癖がつきました。値段や品質ではなく、「払ったこのお金は、このあとどこへ流れていくんだろう」と考えてしまうようになった、という意味です。著者は経済人類学を研究しているジェイソン・ヒッケル、日本語版は野中香方子さんの訳で東洋経済新報社から出ています。脱成長の本として紹介されることが多いのですが、僕にとっては、広告やマーケティングの領域で働きながらずっと抱えていたもやもやに、やっと名前がついた本でした。
『資本主義の次に来る世界』を処方箋として買った理由
僕は本を、その時々で困ったことの処方箋として買っています。判断に迷って何日も決められない、抽象的な依頼をどう具体に落とせばいいか分からない。そういう詰まりが先にあって、当たりそうな一冊を選びます。だから手元の本棚は、趣味の記録というより、困りごとの履歴みたいになっています。
数えてみたら130冊を超えていました。並びの多くはマーケティング、コピーライティング、営業、マネジメントの実務書です。どうすれば人が動くか、どうすれば売れるか、どうすれば数字が伸びるか。要するに、売る技術に寄った棚でした。
並びの最後に『資本主義の次に来る世界』が入ったとき、棚を眺めていて少し笑ってしまいました。どうすれば売れるかを学ぶために買ってきた棚に、売れ続ける前提そのものを疑う本が初めて入ったからです。
買った理由は、はっきりしています。広告の仕事で数字が伸びるほど、伸びた分だけ気持ちが晴れない瞬間があったからです。クリック率が上がった、申し込みが増えた、前月を超えた。良い報告のはずなのに、報告しながら胸のあたりがざらつきました。ざらつきの理由を、自分の言葉で説明できないままでいました。仕事のやり方を変える本ではなく、その居心地の悪さの正体を教えてくれる本を探していた、という感じです。
原題は『LESS IS MORE』、脱成長という言葉
原題は『Less is More』で、副題に「How Degrowth Will Save the World」と付いています。degrowth が脱成長、直訳すれば「少ないほうが豊か」です。日本語の書名だけ見ると資本主義そのものを終わらせる本のようですが、原題のほうが中身に近いと思います。
脱成長(だつせいちょう)は、不景気やマイナス成長とは別の話です。景気が落ちて、給料が減って、我慢する人が増える状態を目指しましょう、という主張ではありません。本が言っているのは、地球から取り出す資源とエネルギーの量を減らしながら、暮らしは良くしていける、そのやり方を考えようということです。医療や教育や住まいのように必要な部分は厚くして、なくても困らない部分を縮める、という方向で書かれています。
考え方としては、けっこう前からあるものです。言葉のもとになったフランス語の décroissance は1970年代から使われていて、2000年代にセルジュ・ラトゥーシュらの議論で広く知られるようになったと言われています。ヒッケルはその流れを引き継ぎながら、気候変動と生態系の側から書き直した書き手にあたります。だから、この本だけで賛成か反対かを決めるより、批判も含めて何本か読むほうが向いているテーマだと思います。
GDPの話も出てきます。GDPは市場で取り引きされた金額の合計なので、災害が起きて復旧工事が発注されれば増えるし、病気が増えて医療費がかさんでも増えます。家で誰かが誰かの世話をしている時間は入りません。人が幸せかどうかを測る目盛りとしては、そもそも作りが違うのだという指摘は、読んでいて素直に納得しました。
成長をやめるという話に、個人の暮らしの側から近づいた記事も書いています。もっと伸びなきゃいけない気がしてしんどいときは、成長し続けるのがしんどい人へ。あえて「成長を辞める」という選択を読んでみてください。
脱成長(だつせいちょう)=経済の規模を無理に大きくし続けるのをやめて、資源の使用量を減らしながら暮らしの質を上げようとする考え方。プラネタリーバウンダリー=地球が安全に受け止められる限界のこと。人新世(じんしんせい)=人間の活動が地質のレベルで地球を変えてしまった時代、という呼び方です。
そのお金はどこへいくのか、という問い
読んでいて一番刺さったのは、経済をどう見るかの話でした。本のなかで、こう尋ねるべきだという趣旨のことが書かれています。そのお金はどこへいくのか。誰が、そこから利益を得るのか。生態系が崩れていく時代に、生み出された利益の相当な部分がごく一部の富裕層に集まっていく形を、そのまま受け入れていいのか、と続きます。
僕がずっと見てきた数字は、全部が総量の数字でした。売上がいくら、成長率が何パーセント、市場規模がいくら。増えたか減ったかだけを見ていて、増えた分がどこへ行ったのかは見ていません。目盛りが総量しかないので、分配の話は視界に入らないままになります。
本はそこに、高所得の国と低所得の国のあいだの偏りを重ねてきます。安い資源と安い労働力が低所得の国から高所得の国へ流れ、利益は受け取った側に残ります。掘ったあとの土地の汚染や、働く人が健康を損なうリスクは、資源を出した側に残ります。本ではこの関係を、南から北への流れという言い方で書いています。貧困は資源が足りないから起きているのではなく、流れの向きが決まっているから続いている、という並べ方でした。経済の言葉では外部化と呼びます。自分の帳簿には載せず、誰かの生活に押し付けてしまう、という意味です。帳簿の上ではきれいな数字が出るのに、押し付けられた側の暮らしはそのぶん削られています。数字がきれいなのは、削られた部分が数字に入っていないからだ、という話でした。
生態系の話も出てきます。野生動物がどれだけ減ったか、絶滅の速度がどれくらいになっているか、といった数字が並びます。ただ、こういう推計は調査のやり方で幅が出ると言われているので、細かい数字はここでは書かずにおきます。本が土台に置いているのはプラネタリーバウンダリーという考え方で、気候変動、生物多様性の損失、窒素やリンの循環といった項目ごとに、地球が安全に受け止められる範囲を線で引くものです。すでに何本かは超えていると言われている、というところまでを僕は受け取りました。数字の大小より、限界に近づいているらしいという前提が、読後に残っています。
計画的陳腐化への驚き
本の後半に、大量消費を止めるための非常ブレーキが5つ挙げられます。読みながら一番「えっ」と声が出たのが、その1つ目でした。
①計画的陳腐化を終わらせる ②広告を減らす ③所有権から使用権へ移す ④食品廃棄を終わらせる ⑤生態系を壊す産業を縮小する。どれも国や制度のレベルの話として書かれています。
計画的陳腐化(けいかくてきちんぷか)は、英語では planned obsolescence と言います。製品をわざと古びさせる、あるいは一定期間で使えなくなるように作って、買い替えを起こさせるやり方のことです。
本当はもっと長く使えるように作れるのに、あえてそうしていないという指摘でした。技術が足りなくて壊れるのではなく、売り続けるために壊れる形にしてある、という順序です。読んで素直に驚きました。
正直に書くと、僕自身に強い実感があるわけではありません。修理を断られて困った家電も、これといって思い出せない。ただ、言われてみればスマートフォンは2年ほどで買い替えていますし、パソコンの寿命も昔より短くなった気がします。壊れて往生した記憶はないのに、気づけば次のものを買っている。そのくらいの距離感で読みました。
本が挙げているのは、もっとはっきりした形の話です。バッテリーがへたっても自分では交換できない機器、本体はまだ動くのに更新が止まって使えなくなるソフトウェア、部品の保有期間が終わったので直せません、と言われる家電。壊れやすい部品と、それを交換できない作りが組み合わさると、修理という選択肢が最初から消えます。
気まずいのは、僕自身が同じ流れのなかにいることです。Suggescoにもアフィリエイトのリンクを貼っていて、要するにモノを勧めて紹介料をもらう側にいます。買い替えのタイミングで検索してきた人に、次の一台を差し出す仕事とも言えます。だから紹介するものは自分が使い続けているものだけにする、というやり方でしか折り合いをつけられていません。
逆に、手元で長く生きている道具のことも思い出しました。スマホの目覚ましをやめて置いた物理の目覚まし時計、日記に使っているどこにでも売っているキャンパスノート、ソールの薄いサンダル。どれも機能を足していない道具です。通信もしませんし、更新も要りません。壊れる部品が少ないぶん、そもそも壊れる理由が少なくなります。安いから長持ちするのではなく、余計なものが載っていないから長持ちしているのだと思います。
企業が成長を強いられる仕組みと、借金の話
「成長をやめればいい」と言われても、会社を回している側からすると、そう簡単ではありません。本はその理由を、お金の生まれ方から説明していきます。
僕が一番「えー」となったのが、銀行の話です。銀行は預かったお金をそのまま右から左へ貸しているのではなく、貸し出すときに預金という形でお金そのものを生み出しています。しかも、貸す金額の全部を手元に置いておく必要はありません。本の中では1割程度という数字で説明されていました。
実際の準備率は国や時代によって違いますし、いまは準備率よりも自己資本比率のほうで規制されていると聞きます。だから数字そのものを鵜呑みにするつもりはありません。それでも、貸したお金は借金として返さなければならず、利子の分だけ元より多く返す必要があるという部分は動きません。世の中に出回るお金の多くが借金として生まれるなら、経済は全体として、返済のために膨らみ続けなければならなくなります。企業が毎年前年を超えろと言われる背景に、こういう仕組みがあるという説明は、腑に落ちました。
読んだあとに残ったのは、怒りではなく「知らなければ搾取される」という感覚のほうでした。仕組みを知らないまま参加していると、自分が払ったお金がどこへ流れて誰の取り分になったのかも見えないままになります。まあ、こういう世の中なんだな、という受け止め方に近いです。糾弾したい気持ちにはなりませんでした。
デカルトの二元論と、人間と自然の切り離し
本の前半は、経済の話というより文明史の話です。もともと多くの地域では、山や川や動物にも人と同じような命があると考えられていました。アニミズムと呼ばれる見方です。やがて人間の精神と物質の世界を分けて考える見方へ移っていくのですが、その過程でデカルトの二元論が大きな役割を果たした、という説明が出てきます。
自然が心を持たない物質になれば、切り出しても掘っても、罪悪感の対象にはなりません。土地の囲い込みや植民地での収奪が進んだ時期と、この見方が広がった時期が重なっている、という並べ方をしています。歴史の解釈としては議論があるところだと思いますが、「経済の仕組みの前に、世界の見方が変わっていた」という順序で語られると、読み方が変わりました。
読みながら、自分が暮らしのなかでやってきたこととも重なりました。ソールの薄いサンダルを履いて地面の凹凸を足の裏で拾うと、砂利と土とアスファルトの違いが一歩ごとに分かって、歩くのが楽しくなります。自然を資源として見るか、触れる相手として見るかで、同じ道が別のものになるという体感が、少しだけ分かった気がしました。
広告を減らす、という項目
5つのブレーキの2つ目、広告を減らすという項目で、僕はしばらく手が止まりました。仕事でやっていることだからです。
本の中に、資本主義は人のニーズを満たすためではなく、満たされない状態を保つために動いている、という趣旨の指摘があります。読んだ瞬間は言い過ぎに感じましたが、自分の仕事に当てはめると笑えませんでした。足りていない気持ちを作ってから、それを埋めるものを差し出す。広告の型として、僕はまさにそれを組んでいます。
ただ、広告そのものを悪だと言うつもりはありません。知られていない良いものを、必要な人に届ける手段としての広告は普通に良いと思っています。線を引いているのは、不安の煽り方のほうです。まだ困っていない人に困りごとを教えて、過剰に不安にさせてから買わせる形になると、それはもう伝えることとは別の何かになります。線引きの話は、広告がうざいと感じるのはなぜかを、つくる側から書いた記事に詳しくまとめたので、よければ続けて読んでみてください。
労働時間を短くする話を、自動化する側から読む
本の処方箋には、労働時間の短縮も入っています。週の労働時間を減らして雇用を分け合い、生産の総量を落としても暮らしが壊れないようにする、という考え方です。国の制度としての提案なので、個人にできることではありません。
ただ、僕は労働時間の章を少し違う角度から読みました。自分の仕事のルーティンをAIと自動化でどんどん減らしていて、目標としては9割方なくしたいと思っているからです。時間の削り方としては、制度を待たずに個人でやっている形になります。
正直に書くと、浮いた時間が全部そのまま暮らしの豊かさに変わっているかというと、そこは自信がありません。空いた時間に新しい仕事が入ってきて、結局埋まっていることもあります。効率を上げた分だけ、空いたところにまた仕事を入れてしまいます。本が言っている「成長圧」は、会社の外にいる個人の頭の中にもそのまま入っているのだと思います。労働時間そのものについては、「週4時間だけ働く」は本当に可能か。空いた時間の使い方でも考えました。制度の話と個人の話の距離を見比べるつもりで読んでもらえたらうれしいです。
脱成長への批判と、僕の立ち位置
賛成一色で終わりたくないので、批判のほうも読んでみました。脱成長やポスト資本主義の議論には、定義が人によってばらばらである、具体策が制度の絵にとどまっていて実行の道筋が弱い、成長を止めたら貧しい国の底上げができなくなる、といった反論があります。技術の進歩と切り離して考えるのは無理があるという指摘もあります。
僕は、良いか悪いかの2択で受け取らないようにしています。強い主張ほど、ある一面から見たときの結論であることが多いと思っているからです。だから自分のフィルタを通して、逆の側からも見てみます。『資本主義の次に来る世界』についても、「もし主張のほうが間違っていたら、どこが最初に崩れるだろう」と考えながら読みました。
読み終えて手元に残ったのは、総量ではなく分配の行き先を問う視点と、成長し続けなければ回らない仕組みが自然法則ではなく人の手で作られたものだという事実でした。まだ判断を保留しているのは処方箋の側です。国のレベルで実際にどう進めるのか、そこに賛成できるかは、自分の中で決まっていません。
読んで変わったこと、変わっていないこと
読了から日が浅いので、大げさなことは書けません。生活が一変したという話はなく、サブスクを全部解約したりもしていません。
変わったのは、買うときに「壊れたら直せるか」を見るようになったことと、支払う前に一拍おいて、このお金がどこへ行くのかを一瞬考えるようになったことくらいです。あとは、仕事で数字を伸ばすときに、伸ばし方のほうを前より気にするようになりました。
変わっていないのは、僕が今日も広告と検索の仕事で食べていることです。ニーズを人為的に作り出す側から降りたわけではありません。降りたほうがいいとも思っていなくて、伝えることと煽ることのあいだで、自分の線をどこに引くかを毎回考えている、という状態が続いています。読んだ本で人生がひっくり返ることはあまりなくて、判断のときに参照できる材料が1つ増える、というのが実感に近いです。
よくある質問
Q. 『資本主義の次に来る世界』の原題と出版社は?
A. 原題は『Less is More』、副題は「How Degrowth Will Save the World」です。著者は経済人類学を研究しているジェイソン・ヒッケル、日本語版は野中香方子さんの訳で、東洋経済新報社から出ています。原題のほうが「少ないほうが豊か」という中身に近いので、僕は原題で覚えています。
Q. 経済学の知識がなくても読めますか?
A. 僕は経済学を学んだことがありませんが、詰まらずに読めました。数式は出てきませんし、前半は歴史と考え方の話が中心です。ただ分量はそれなりにあるので、通しで一気に読むより、章ごとに区切って読むほうが向いているかもしれません。用語で止まりやすいのは信用創造と外部化のあたりなので、そこだけ検索しながら進めると楽だと思います。
Q. 斎藤幸平さんの脱成長コミュニズムと同じものですか?
A. どちらも脱成長を扱っていますが、力点は違うと言われています。斎藤さんは資本主義そのものの先にある形として論じていて、ヒッケルは資源とエネルギーの使用量を減らしながら暮らしの質を保つ道筋の話に多くのページを使っています。両方読むと違いが見えて面白いです。どちらにも批判があるので、批判側の本や記事も一緒に読むほうがいいと思います。
Q. 計画的陳腐化は法律違反になるんですか?
A. 日本で計画的陳腐化そのものを直接禁じている法律は、僕が調べた範囲では見つかりませんでした。海外では、機器の性能を後から落とした件でメーカーが制裁を受けたと報じられた例がありますし、修理する権利を求める議論も進んでいるようです。買う側にできるのは、修理や部品の交換ができるかを買う前に確かめておくくらいだと思います。
まとめ
『資本主義の次に来る世界』は、脱成長という主張を受け入れるかどうかより先に、経済の見方を1つ増やしてくれる本でした。総量ではなく、そのお金がどこへいくのか。誰がそこから利益を得るのか。同じ問いを、国の経済にも自分の財布にも当てられます。
計画的陳腐化を知って買うときに一度立ち止まるようになり、信用創造を知って成長圧の出どころが分かり、広告の章で自分の仕事に線を引き直した。読んで得たのはそのくらいで、生活が劇的に変わったわけではありません。ただ、判断のときに使える材料が増えるのが読書だと思っているので、僕にとっては十分でした。
地球が受け止められる限界があるという前提を頭に置いたうえで、成長するかしないかではなく、どう豊かになるかを、みんなで考えていけたらいいと思っています。答えを出す本ではないので、読んで賛成しなくてもいいはずです。買い物のときに一拍おく癖がついた、くらいの変化でも、僕は読んでよかったと思っています。


